自分は自分の人生の社長!?
昨日はバイトでオープン作業をしてから、
とある企業の社長登壇少人数説明会に行ってきました。
おはようございます。
その企業は、創業者がまだ現役で働いていて、かつ創業からずっと黒字経営をしていると聞いて
ぜひともその社長さんに会って価値観に触れてみたいと思っていました。
それに加え、そこの人事責任者がひたすらに社長に惚れ込んだと言い続けるのです。
20そこそこの若者が、60過ぎの方にそこまで惚れ込むとは…。
ますます興味が湧き、この日が来ることを待ちわびていました。
しかし思いもよらない事態が発生。
なんと…社長インフルエンザで欠席。
そんなことあります?わら
それでも、精いっぱいの力を振り絞りSkypeで
集められた10名弱の学生と直接語り合おうとしてくれました。
が、体調があまりに優れなかったらしく、あえなく断念。わら
良い出会いになるかと思いましたが、残念でした。
それでも、目の前にいる人は2年目にして人事責任者を任されている方。
様々なことを学ぶには十分すぎる時間でした。
何が良かったって、なにかとぶつけられる言葉が手厳しい。
自分は21年間全力で生きてきたが、社会に出るにはまだまだ力不足。
まだ社会の現実を直接見ていないながらも、そんなことは容易に想像はできています。
が、それを改めて目の前に突き付けられた感覚を味わいました。
正直やってみないとわからない世界ではあります(だからこそ好奇心が留まるところをしらないのですが)。
しかし、もうこの時点で無数にある道を絞り切れていない時点でもう出遅れているのだ、と。
社長さんはこう言います。
世の中の仕事には大きく分けて5つの道がある。
企業に入るには、まず3つの入口。
経営者になるには2つの入口。
もう今までの人生を無駄にしないためには消去法で選ぶのが一番。
それから自分で道を拡げていく。
ただそれだけのシンプルなものだった。
そういう考え方もあるのだなあとひとまず関心。
しかし、言っていることはそう難しくない。
結局のところは、自主性なのですね。
自分の道を決めるのは誰でもない、自分なのだ、と。
これは単に独りよがりになっているわけではなく、
自分の道も自分で歩めないやつが、他人のために尽くすことができるのか?
と、そういった意味合いが含まれているように感じます。
なかなかに手厳しいですが、核心をついている気もします。
あとひとつ。魂が震えた言葉。
これこそありきたりの言葉のように聞こえるけれど、なかなか意識できないことかと思います。
その言葉とは、
自分が親にしてもらった以上のことを子供にしてやれ
というものでした。
初めて聞くような言葉ではないですね。
それを心に留めながら日々を過ごしている方もいるかもしれません。
しかし、改めて面と向かって言われるとなかなかに重い言葉。
それが親への最大の感謝の表意なのかもしれませんね。
他にもあるとは思いますが。
改めて自分の考えを整理するキッカケになりました。
仕事もプライベートも自分を誇れて、日々に感謝をできて、周りに愛を伝えられ、
自分の子供に自分が置かれていた以上の環境をプレゼントできる、
そんな人生を死ぬ瞬間まで歩み続けたい。
あまりにもシンプルで難しく
あまりにもリアルで理想論
それでもまだ自分への、そして社会への問いは続きます。
結局は自分次第であり、どう思うかは人それぞれの価値観ということですね。
それではまた次回。
個人で活躍していくには
ここ最近やっと不要な広告を消したり、
ブログの設定などが理解出来てきたので、
おはようございます。
またこれからも可能な限り見やすいブログを書いていくので
多少時間も費やすとは思いますが、
見てくれる人が増えると単純にモチベーションも上がりますから。
ということで、昨日のお話なのですが、
もうかれこれ8年程の仲になるのかな…。
改めて考えるとすごい繋がりです。
地元だと比較的会いやすいし。
自分のスケジュール管理の問題で3時間ほどタイムロスしてしまい
結局1時間ほどしか話すことはできませんでした。
申し訳ない…。
まあひとまずそれは置いておき。
みんなそれぞれ将来について考えていることはあり
自分も含め、それぞれの道を歩んでいました。
8年前の若かりし頃などを思うと、感慨深いものがありました。
その中で話題に上がった「世の中の信用」というもの。
何をするのにだって、自分が売れたり、一定の評価を受けるのには
「世の中の信用」を得ることが必要になってくるわけでして。
それがあると、自分は何もせずとも仕事が舞い込んできたり
社会に対して、それなりの発言力が得られたり(内容についての賛否は分かれるかもしれないけれど)。
一概に得だとは言えないかもしれないが、自分が生きていくうえで
夢に一歩近づいたり、
それが「世の中の信用」なのではないでしょうか。
それを行使するために世間的に名の通った、
はたまたそれには頼らないのも、
入口や途中経過はどんなものにせよ
ゆくゆくは自分個人への「世の中の信用」は獲得したいものです。
それを獲得して自分はどうしたいのかを考えるのも楽しいし
どのような手段・方法で獲得するのかを考えるのも楽しい。
いずれにしよ自分の今後の人生にダイレクトに関わってくる問題を考えているわけですから、楽しくないはずがないんですね。
まあいつもの通り今回もどう思うかは人それぞれの価値観次第ということで。
それではまた次回。
ご報告!!!
昨日は午後からサークルの卒業イベントの練習をして、バイトをして。
そんな日曜日でした。こんばんは。
そーいえば報告が。
だいぶ一部には出回っているようなのですが…。
自分、1年間海外行きます。
場所はまだ確定というわけではないのですが
東南アジアのフィリピンに行きます。
留学じゃなくて、インターンシップです。
しかも、4月にはもう出発する予定です。
あまりにも急ですね。
いや、数ヵ月前から考えていたことなのですが
だいぶその考えが具体的な形になってきたら公表しようと思っていました。
いやそれにしても自分でも急すぎて笑てまうのですが。
言うなれば、青学になぜ来たかというと
海外留学も考えて、それに力を入れている大学ということで
青学に来たっていうのも事実、あるんですね。
でも、気付いたらサークルに打ち込み
そこで出会ったダンスに打ち込み
3年間という月日が流れていました。
あ、別にそれ自体全然後悔とかしてなくて。
ただ、このままでいいのかというのはありまして。
考えた結果、親にも頼らず自分の資金内で実現可能な形で海外に行けるかなと思い、海外インターンに踏み切りました。
探せば、めちゃくちゃリーズナブルなプランがあったりするんですね。
行きたいところ、やりたいこと。
それが本気なのであればそれを実現するために行動を起こせるはず。
行動できない人は勇気が足りないだけ。
ということを言っている方がいまして。
これは深いなあと。
行動という概念についてはまた今度書いていくとします。
そんなこんなで思い立ったらすぐ行動、な自分は海外に行ってきます。
4年生の1年間休学をして。
まあこれもまたどう思うかは人それぞれの価値観次第ということで。
それではまた次回。
社会と感謝と人生と
今日は早朝から、父親の仕事のお手伝いとして働いてきました。
花粉がますます酷くなるばかりです、こんにちは。
今日も当たり前のことをつらつらと書いていこうと思います。
今日父親と語っていて、そして手伝いをしていてふと思ったことが2点ありまして。
一つ目は
昨晩、好きなことを仕事にしたいのか、はたまた仕事とは別に好きなことをしたいのか。
疑問を残しつつ投稿を終えたわけですが。
仕事や会社の、それ自体生まれた意味って、人々の生きていく中で
これってなくちゃだめだよね。
こういうのあったらいいのに。
という思い(言い換えれば需要ですが)があったからこそ生まれたわけで。
その人のやりたいこと(時にはやらなきゃと思ったこと)と、
人々の需要がマッチしなくては、それに対価なんて払われるはずもなく…。
人々が支えあう社会って単純にすごいなと。
二つ目は
可能性が無限大にあることへの感謝。
原因として時代の変化というものもあるのかもしれないけれど、
大学生が就活において悩むということの要因として大きなものが一つあげられます。
答えは単純で、環境があまりにも恵まれているということです。
世の中には中卒や高卒も多くいて、それだけで仕事の幅は大きく狭まるでしょう。
自らその道を選んだ人もいれば、中にはその道を選ばざるを得なかった人もいるでしょう。
そう考えると、皮肉なことに大学4年間しっかり勉強していようがいまいが、
未来への道は広く開かれているわけです。
学費を自分で稼いでいるという人も
大学から奨学金をもらっているという人も
学費だけは親に払ってもらっているという人も
生活費も全て親に払ってもらっているという人も
どんな状況でも親に
もしくは自分の置かれている環境に
感謝をしなくてはならないなあと改めて思ったわけです。
自分の子供にもこのぐらいの選択肢を与えられる
そんな親になるべく、毎日を大切に生きようと思いました。
将来こうなっていたいというvisionもそれとなく固まってきたかな…。
今日の話題は特に重かった気がします。わら
あ、そういえばvisionもそうだけれど
今年1年間の過ごし方も決めました。
まあ、いつものごとくどう思うかは人それぞれの価値観ということで。
それではまた明日。
どこで区切るの?
己の野望を持ち、現在はとあるベンチャー企業で働く一人の男と東京駅で語ってきました。
その一人の男とは、サークルの2つ上の先輩なのですが。
現役時代はさほど深く関わったことはありませんでした。
なぜ急に二人きりで語ることになったのか。
それもなんとなくなのですが、その人は自分にない価値観を持っていて、さらに軸がしっかりしていたからですね。
社会人1年目ながら、尊敬する部分もあったので、語り合いました。
話してみると、共感できる部分もおおいにあり、グサッと核心をつかれて完敗、という点もあったのですが。
さすがに価値観は違うものを持っていました。
大学4年間のなかですでに事業をやっていたと言っていただけあって、さすがにビジネスに対して鋭い感性を持っている、といった印象を受けました。
私の考えにも耳を傾けながらも、だから何なの、といったような姿勢で(さすがに全く無関心だったわけではないとは思う)最後までしっかり向き合ってくれました。
まあ、このような価値観の人もいるのだなあと思わせられた1時間でした。
時間が短すぎたというのもあり、自分の全ては明かさずに、煙に巻かれたような気分にもなりましたが。わら
とても忙しそうに夜の丸の内へと姿を消していきました。
わざわざ時間を割いてくれて(ハイネケンやつまみも奢っていただいて)、良き先輩でした。
社会人と話すと、自分のあやふやな部分が露呈しますね。
何を仕事にするのか、はたまた仕事とは別にやっていきたいことがあるのか。
自分の中でどこに区切りをつけたいのか。
実際のところ、やってみないとわからないこともたくさん。
一種の妥協とも似た決断というのも時には必要なのだろうか、いや、それが覚悟というものなのか。
まだまだ自分の中で答えがでないものもたくさんあるようです。
これもまた人それぞれの価値観次第ということで。
それではまた明日。
我慢の種類
今日は外に一歩も出ることなく一日中家に引きこもっていました。
こんばんは。
昨晩、我慢の種類というワードを出して終えましたね。
それについて触れていこうと思います。
”我慢”と聞くとみなさんは何を思い浮かべるでしょうか。
時になくてはならないもの。
自分を成長させてくれるもの。
相手や、周囲の人のためにするもの。
自分を押さえつけてしまうもの。
社会に出たら必ずしなくてはならないもの。
などなど…
例を挙げようとしたらキリがありません。
考え方は人それぞれなのですから。
その中で私は現段階では”我慢”というものには、大きく分けて2種類あると考えています。
…なんのこっちゃ。
考え方は簡単です。
”我慢”を大きく2つに分けると心地よいものと心地よくないものに分けられます。
表現の仕方がなかなか分からないので、現段階ではこういう表現をしておきます。
一体どういうことなのか。
言ってしまえば本人自身の捉え方だと考えます。
それこそ人それぞれの価値観の相違なのですが。
簡単に例を挙げましょう。
A君は理科がとても嫌いですが、どうしても入りたい難関国公立大学があります。
どうしてもその大学に合格したいがために、理科も嫌いながら”我慢”して勉強しました。
この際の”我慢”は私の中では心地よい”我慢”です。
というよりも、少しでも克服するためにA君は積極的に理科に向かい合うでしょう。
2つ目の例を挙げましょう。
A君は先輩に無理やり誘われていきたくもない飲み会に誘われました。
その先輩にはよく可愛がってもらっているため、飲み会に足を運び2時間”我慢”してその場を乗り切りました。
この際の”我慢”は…言わなくてもわかりますね?
いくらその場を楽しもうとしても、お酒で何となく気持ちを紛らわすしかありません。
上記のものは状況があまりにも違うというのはごもっともなのですが、あくまで例なので悪しからず。
何が言いたいかがなんとなく伝わればそれでいいです。
結局のところ、何を伝えたいかといいますと。
自分の夢や本当にやりたいこと、目標に向かって通らざるを得ないものに必要な”我慢”はその人にとっては苦痛ではない、むしろ心地よいものなのだということであり、
自分のやりたくないこと、仕方なくやっていることに直面する”我慢”は全く持って心地よくないということです。
一見、当たり前のように見えますね。
ですが、考えてもみてください。
一体どれだけの無意味な、自分のためにならない、苦痛な”我慢”をしてきているのか。
あれは仕方ない!と思うものがあれば、仕方ないと思っている時点でもうすでに心地よくないものなのではないでしょうか。
どちらの”我慢”をしてるから偉いとか、正しいとか論じるつもりはありません。
ただ、自分にとってその”我慢”は本当に心地の良いものなのかどうか、自分に問いただしてするべきかどうか考えてみてもいいかもしれません。
だけど、もしかしたらそこで心地よいとは思えない”我慢”を捨てることで自分自身楽になったり、自分らしく生きていくことが可能になるかもしれません。
自分らしさとは。
なかなか難しい問いかもしれません。
もしかしたらとてもシンプルな問いなのかもしれません。
あなたはどれくらいの心地よくない”我慢”をしているでしょうか。
それをすることで自分らしく生きていけているでしょうか。
社会的にうまくやっていけているのでしょうか。
自分を見つめなおすほど難しいことはないかもしれません。
いつものごとく、どう考えるかは人それぞれの価値観ということで。
それではまた次回。
日本の就活よーい、ドン
今日はいわゆる合同セミナーに行ってきました。
スーツを着て周囲に扮し就活生してきました。
やはり採用活動解禁初日というだけあって、名だたる大企業が数々ブースを出展していて、数多くの就活生で賑わっていました。
内容はというと、さすが大企業様。
とても面白い内容であったり、とても興味を持たせるようなパンフレットや時にはプレゼント作戦。
お金かけてますね。
おかげでどこも印象に残っています。
そこにとやかくいうつもりもありませんし、無駄だとも思っていません。
ただ私が今日のセミナーに参加し、お昼を食べるのも忘れ、全8社の説明を聞いて思ったこと。
それは、どの会社も魅力的であり、仕事が楽しそうだということですね。
どれも興味が湧く内容で、入社後の自分の姿を想像しながら聞き入ってました。
さらには、どこの企業様も業界研究も兼ねた説明だったので、社会の仕組みを少し勉強出来た気になり、とても有意義な時間でした。
とは言うものの、全員に共通することだとは思いますが、自分の軸がしっかりしていればどんなに魅力的な企業がたくさんあっても、自分に問い正した時に迷わないはずですね。
当たり前のことかもしれませんが、改めて思いました。
考えようによっては、自分がそこでどうするかということが重要なので、ガッツや人を思うことで自分はどこでもやっていける。
のかもしれないけれど、どうせどこでも頑張れるのであれば、自分という人間が一番輝くような、一番生き生きできる場所で頑張りたいものですね。
その中でなら時にはしなくてはならない、ある種の"我慢"もできると思うんです。
あ、私のなかで"我慢"って、二種類あると思っています。
心地よいものと、心地よくないもの。
それについてはまた後日掘り下げていこうと思います。
なんにせよ、就活って面白い。
今回もまたどう考えるかは人それぞれの価値観ということで。
それではまた次回。
日本の就労観
今日も新たな企業に出会い、友人と深い議論も交わしました。
こんばんは。
いきなりですが、私がなぜ企業に就職すること自体に疑問をもつのか。
それは、とてもざっくりとした感覚的なものなので文にすることが難しいのですが。
自分のもつサラリーマンに対するイメージがあります。
まず一つ目。
毎日毎日同じようなタスクをするために満員電車に乗ってイライラしながら会社に向かい、帰りもイライラしながら満員電車に乗って家へ帰る。
特に通勤ラッシュの電車の中には、このようなサラリーマンが溢れています。
さらにいうと、そこで見るほぼ全員といっていいほどのサラリーマンの顔や目は完全に死んでいるのです。
生き生きしていない、と表した方が分かりやすいかもしれません。
次に二つ目。
すき家などの牛丼屋さんで一人ビールとおつまみを注文し、ひっそりと一人で晩酌をしている。
または、居酒屋で何人かのサラリーマンが仕事や上司に対する愚痴を話している。
次に三つ目。
特に自分に自信もなく、ただ周りに合わせて流されてればいいやという考え。
教えられたことをただ守っていればいいという考え。
ざっくりわけると以上の三点がイメージとしてあります。
みんながみんなそういうわけでないということは十分わかっており、それを論じるときりがないので、置いておくとして。
共通するものとして、単にカッコよくない。自分らしい生き方なのか。本当に人生楽しいのか。自分を誇れるのか。
という、非常に直感的ながら、そんな疑問が生まれてきてしまいます。
それを踏まえてみても、親世代やそれ以上の人たちは大抵働くとはそんなものだ、という言葉で片付けてしまいがちです。
つまりは、「労働は苦役なり」ということですね。
その文化はなかなか根強く、変革してきているとはいえ、まだまだ今の若者もその考えに縛られている人はたくさんいると考えます。
自分は就職の何に違和感を覚えていたかというと、それこそ日本の就労観に違和感を覚えていたのだと思いました。
日本の就労観が変わればどれだけ就職という道が明るく照らされるか。
その問題に目をつけてベンチャー企業を主に相手にした企業コンサルという事業を行っている会社があり、社長登壇の機会がある説明会に足を運びました。
その企業についての話は次回したいと思います。
今回もまたどう考えるかは人それぞれの価値観次第ということで。
それではまた次回。
大手=ネームバリュー!?
どんよりした天気の中、朝から2時間ほど母と熱の入った議論を交わしました。
おはようございます。
前回記載したように、会社で雇われて働くこと自体に疑問を持ち、様々な人にその意味を問うている段階なんですが。
そこはいったん置いといて、なぜたくさんの就活生がいわゆる大手と呼ばれる大企業を目指すのかということについても考えているわけです。
それこそ人それぞれだと思います。
周囲からの評価、比較的高いお給料、そこで働いている自分への自信、特に何も考えずになんとなく、せっかく有名大学に入ったのだから…などなど。
心のそこからそれを志望理由としている人もいれば、理由は後付けとしている人も様々だと思います。
自分なりの見解としては、そこまで大手に興味がなかったわけ(まだたくさんの企業を見ていないから実際なんともいえない…)なのですが、自分にとってひとつ大きな理由を見つけました。
その前に、ひとりで仕事をしていくことと企業で仕事をしていくということのざっくりとした違いは、仕事や関わっていく人など、に出会う機会が圧倒的に企業で働くほうが多いという点だなと思っているわけです。
あくまで現段階の私の見解の中で、ですが。
考えてみれば当たり前かもしれないし、全くの見当違いかもしれませんが、そこは置いといて。
それを踏まえて、大手企業に就職する意味としては、大きければ大きいほどたくさんの仕事や人に出会えるということかなと、私は思ったわけです。
誰も知らないような会社よりかは誰もが知っているような会社のほうが圧倒的にそういった機会が多い。
もっと言ってしまえば、その業界でNo.1の会社に入れば、その分野では1番機会に触れられるわけです。
…大手ええやん。
いやまあ、大手の良さはそれだけではないだろうし、中小企業だってそれに負けないような点だってたくさんあるので一概にそうとは言い切れないのですが、まあそうなると何時間も議論を交わさなくてはならなくなるので、そこについての言及は今はおいておくとして…。
また少しだけ自分の疑問が解消されて、ほかに新たな疑問が生まれてくるわけでして。
楽しいですね考えるって。
いつものごとく、これもすべて人の価値観次第ってことで。
これからもつらつらとこんな感じで書き続けたいと思います。
なにか思うことがあったら、直接ゆっくり語り合いましょうということで。
結局は人のつながり
まだまだハッキリとした答えはでない疑問について。
先日尋ねた、人と一緒になって多くの人の今後のキャリアを考えていく「人材業界」
そこで働く一人の人と多くのことを語らせてもらった。
論理的な、答えの出しずらい質問にも快く自分の価値観を語ってくれた。
自分の目の前にいる人との関係を大事にし、親身になって相談に乗る人材業界で働いているだけあった。
それこそ人がいてこその会社だという考えで、心暖まるお話。
確かに今までの人生を振り返ってみても自分一人では何もできていない。
ありきたりの言葉かもしれないが、ありきたりなものこそ失い易いかなと。
何かが変わる「キッカケ」は、どんなことにも「人」が絡んでいると思う。(よほど特別な場合を除いては)
漠然としてはいるけれど、その「キッカケ」になれたら自分はどれだけ嬉しいものか。
…興味ある。
まあどう思うかは、これも人の価値観次第。
というお話でした。
未来のVision
先日、急に予定をドタキャンされて暇だというある友人の相手と未来のVisionについて話し合った。
上からに聞こえるかもだけど、意外にもあいつはあいつでしっかり考えてることがあって、話が盛り上がった。
インプット・アウトプットする上で刺激もたくさんうけた。
あんな馬鹿みたいな話を真面目に聞いてくれる、話してくれる友人って大事。
やっぱり今後の人生のことを考えることとか、それについてリアルとして議論しあうってすごい楽しいこと。
人には人の、自分には自分の価値観があるって、当たり前だけど色んな人と話してて感じる最近。
夢を夢で終わらせないために今なにをすべきか、これからなにをすべきか、考えていくのが大事、発信するのが大事、他人の考えを聞くのも大事。
考えるよりもまず行動。
いや違うな。
考えつつもまず行動。
まあ結局この考え方自体も人の価値観次第。
というお話でした。
