悩める就活生のあれこれ

日常で思ったこと、何か記事を読んで感じたことを中心にまとまりない感じでつらつらと書き連ねていきます。 (現在セブで日本語教師のインターン中)

教師って!?~in Cebu~

0 件のコメント :


Cebuに来て約5日が経ちました。
私は生きています。こんばんは。


さて、ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが…。
私は現在、フィリピンで日本語教師として働かせてもらっています。


オフィスの人たちや学生たちなど、つながりも着々と増え。
聞きなれない言語に耳を傾け
つたない英語を駆使して
なんとか毎日たのしく過ごしています。



これまでの平日はほとんどコンドミニアムとオフィスの行き来のみで
なかなかフィリピンの街並みといいますか、現地の人たちの生活には触れられていませんでした。


言い訳じゃないけど、そこそこやることはたくさんあるし
何よりちょっと危険な香りがする場所もたくさんあるのです。
近所を歩くだけでも少し緊張が走ります。


それはそうと、教師として学生の前に立っていて思うことが幾つかあります。
フィリピンの学生も日本の学生と同じく、馬鹿みたいにエネルギッシュだし
くだらないことは大好きだし
よく笑うし
よく歌うし
でもなかにはシャイな人もいるし
宿題は嫌いだし
気の強い女の子もいるし
ムードメーカーのゲイもいるし
お菓子大好きだし…。


時間にルーズとか、そういう国民的な傾向を除けば
私たちとなんら変わりのない、一人の人間として生を全うしてるんだなと。
国や年齢なんて重要なことではなさそうです。


あとは、一応仕事として教師をやっているので
出来る限りの時間や労力を注ぎ込まなくてはなりません。
負担とは感じていないながらも、教師という仕事は本当に夢を追う学生のためを想い、
相手に寄り添い、学生の心を動かし、能動的に動かすために知恵を振り絞る必要があります。


ひとつの授業に対して倍以上の準備を要するし、自分にとってどこからが仕事なのか明確には答えられないというのが現状です。
人、そしてその思想などに影響を与えるという職業柄、仕方のないことなのかもしれません。
明確にする必要すらないのかもしれません。




私はただただ日本語のみならずより英語を勉強して現地のタガログ語、ビサヤ語もなんとなく覚えてコミュニケーションの幅を広げたいなと思う日々であります。
もっと深く周囲の人との仲を掘り下げていきたいし、繋がりも増やしたいし、
多くの話題について議論したいし、自分という人間をもっと知ってほしいとも感じます。


これから生活に余裕が生まれてくれば、仕事以外にもたくさんの挑戦をしていきたいと思います。


まぁ、どう思うかは人それぞれの価値観ということで。
それではまた次回。

あ、お暇があれば是非Cebuに遊びに来てください。

国は違えど…。

0 件のコメント :



大変長らくご無沙汰しております。
2週間の研修を終えて、ついに出発が近づいて参りました。
こんばんは。


さてさて、つい先日まで研修生活in宇都宮ということで
想像以上に楽しく、非常に激動の2週間でありました。


場所は東武宇都宮駅から徒歩5分のところにある栃木国際教育学院。
アジア圏の学生さんがたくさんいて、さらにはフィリピン人と2人でルームシェア。
刺激多すぎやろ…。




それに加え、共にやっていく日本語教師のタマゴたちもとっても良い人たち。
早速仲良くなり、実に充実した毎日を過ごせました。


研修最初の一週間は授業の見学であったり、ほとんどはここの会社自体の説明。
あとは日本に滞在する外国人の話や、海外の日本語学校の状況など
リアルな社会的問題に目を向けた話を主に聞きました。


やっぱり、国や企業が海外からの有力な人材を欲しているにも関わらず
社会に通用する日本語を教えることのできる肝心な教師が圧倒的に不足している、という現状。


あまりにも多額な留学費用のわりに
その外国人の就職までの手厚いサポートがないために結局お金に困る。
よって、悪しき道にそれてしまう人も少なくないといった社会問題も起こり得る。


うーん、なんかもっとお金抑えられないのかね、とも思います。
不法滞在などの問題も、社会の環境だったりに問題があるってところに
もっと真剣に目を向けないといけないのかなぁなんて。
どんな事件にも言えることだけれど。


そして、後半二週間。
授業実践が始まり、学生との関わりも増え、
飲みの場などでの先生方や経営者からの貴重なお話も。


そのなかで、教師のありかたや人生について。
たくさんのインプットとアウトプットがあり、勉強になることもたくさん。
やっぱ教師ってすごい。考え方がすごい。



加えて、間近で学生の生活を見ていると、朝早く学校、放課後は夜遅くまでアルバイト、帰ってきてから山ほどある予習復習。
とてもじゃないけど自分だったら続けられないかなあ、とも思う。


その中で、遠い国の家族のことで悩んでいる人や
本当は自分は日本には向いていないのではないかと思い、
日々の大変さという壁にぶち当たり涙する人。
それに対し心から本気で向き合い、励ます人。


国籍は違えど、過酷な毎日を必死に生きて、考えて
夢に向かって本気で取り組む姿勢を見ていると
自分も生半可な気持ちで教師をやっていくことはできないし
心から一人一人に尊敬の気持ちを持って向き合わなければならないし
その人の夢のために心を寄り添わせなければならないなと心がつき動かされるのである。


自分の夢のために、時間も、お金も、彼らは費やしている。
この人たちのために、自分は何ができるだろう。
どのようにアプローチしたら心を動かせるような授業が出来るだろう。


時間はたっぷりある。されど有限。
今目の前にあるこの時間を無駄にせず、未来の自分に最大限の投資をするには一体何が必要なのか。


言葉にするとめっちゃストイックみたいなんだけど、要は常に後悔だけはしないぞと
そういうことなんですねぇ。
改めて学生さんたちから気づかされました。


ところでつい先日、高校時代の先輩と話していたことがありまして。
こんなに恵まれている日本であれば、餓死をはじめとしてお金がなくて死ぬことはないだろうと。
最大限のチャレンジが許されている環境なんだと、そういうことなのです結局。


そう考えると、日本に住みながら人生攻めていかないのは
生姜焼き定食頼んで生姜焼きを食べないようなもの。
保守的になるのは死にかけてからでもいいかな、なんて思ったり…。


まあ、そんなこんなで明日のお昼前にはもう日本を飛び立ちます。
フィリピンでも出来る限り発信していこうとは思っていますので、みなさん、よろしゅう。
たくさん本を読み、人と繋がり、自分の目で見て、感じて、発信。


まぁ、今回もまたどう思うかは人それぞれの価値観ということで。
次回からはin Cebuでお送りいたします。
それではまた次回。

仕事と生活のジレンマ!?思い込みの恐ろしさ!

0 件のコメント :






近頃は薄手の洋服でも心地よく過ごせる気候ですね。
こんばんは。










更新を怠っているここ数日に、サークルの友人と1対1で何人かとお話をしたり
父のお仕事のお手伝いをしたりと、とてもゆっくりとした時間を過ごしていました。




そんな毎日を過ごしていく中でも新たな発見であったり、気づきがあったりしました。




サークルの同期の友人と代官山でランチに行った時は仕事とお金の関係、そのジレンマについて語り合いました。
彼は比較的早くから将来について考えていて、就職先も、これからどう過ごしていくのかも固まっていたので
話してみたら興味深い話をたくさん聞くことができ、とても楽しませていただきました。








彼とは目指すものや考え方が近かったので、
就活という話題を中心に2時間ほど語り、仕事とお金について考えさせられました。




本当に仕事というものは難しいものです。
顧客や誰かのために働き、その人たちの需要を満たさなくては仕事になりませんね。
しかし、そこからお金をもらわなくては自分が生活をしたり、家族を養っていくことができません。




ここに最大のジレンマが存在します。




お金を軸に仕事をしたくない。そんなにお金が欲しいわけでもない。
とはいえ、自分なりの理想の生活像はあるわけで…。



うーん…。資本主義社会の中で生きる上での限界ですかね。
どうしたってお金の心配をするしかないですもんね、それじゃあ。




というか、何をするにしてもお金かかりすぎちゃうか。




素晴らしい社会の仕組みだとは思いますが、もっといい仕組みないんかなぁとも思ったりもします。




他にも、今年で社会人3年目のサークルの先輩にご飯連れてってもらったりと…。
なんかすんません、ほんと。ごちになります。わら




その方には何度もご飯に連れて行っていただいているのですが。
お酒も入っているので、なにしろ話が盛り上がる盛り上がる。
毎回とても楽しませていただいています。




面接官みたいに考え深掘ってきたりするので、白熱することこの上なし、なのですよ。
こんなしっかりと同じ目線で話を聞いてくれる社会人の方と繋がることが出来ているのは
本当にありがたいことだなぁと…。




その中で得たキーワードは「モノの見方」と「思い込み」ですね。




やはり一つの物事をあらゆる視点から見ることが出来ないと、
偏った考え
物事の本質を掴めない
ということになりかねません。




思い込みというものも非常に恐ろしいもので、
誤解
被害者意識
思考の停止
を引き起こしてしまいます。








主観からはどうしても逃れられないので思い込みからも逃れられないという主張は
ある程度理解はできます。
モノの見方にも限度があるかもしれません。




日本は文化的に、言葉にしなくてもわかるでしょといったことが根付いているようなので、仕方ないことなのかもしれません(高コンテクスト文化)。




いや、言わないと分かんないっしょ。実際。




いろんな価値観の人の意見を受け入れたり、相手の気持ちに寄り添うことでモノの見方だって拡がるでしょ。
すぐには出来るようにならないと思うけど。




人の行動だったり、幸せかどうかって
結局、人の考え方だったり意識の問題なのよね。




そこに優劣だったり上下ってなくて
向いている矢印の方向の問題だったりするよね。




自分も頑固さをたまには捨てて、人の意見を心から尊重出来る人にならないと。
いや、なってみよう。




さぁ、auマンデイでお得に映画やーーーーー!


それにしても21時過ぎからて、上演時間遅すぎやでほんま。
寝たら元も子もないな。わら




まぁ、今回もまたどう思うかは人それぞれの価値観ということで。
それではまた次回。