日常で思ったこと、何か記事を読んで感じたことを中心にまとまりない感じでつらつらと書き連ねていきます。 (現在セブで日本語教師のインターン中)

トラウマと生き方の話~In Cebu~

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お久しぶりです。
近頃スプライトの2Lが欠かせません。
こんばんは。金子です。


今回ちょっとだけ命に関わる重い話をしようかなと思います。


みなさんは「トラウマ」というものはありますか?
大小関係なく「トラウマ」を持っている人、少なくないと思います。


正式名称は「心的外傷」

以下引用:
[心的外傷(しんてきがいしょう、 psychological trauma、トラウマ)とは、外的内的要因による衝撃的な肉体的、精神的な衝撃を受けた事で、長い間それにとらわれてしまう状態で、また否定的な影響を持っていることを指す。
心的外傷が突如として記憶によみがえり、フラッシュバックするなど特定の症状を呈し持続的に著しい苦痛を伴えば、急性ストレス障害であり、一部は1か月以上の持続によって、心的外傷後ストレス障害(PTSD)ともなりえる。]

引用ページ(wikipedia):https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E7%9A%84%E5%A4%96%E5%82%B7


まあ、簡単に例を挙げると、
小さいころ好きすぎてサラミを食べ過ぎて気持ち悪くなったことがある
昔食べたトマトがたまたま腐っててお腹を壊した
前に何気なく言われた一言が忘れられない
いじられていた容姿の一部分がコンプレックスになった


などなど、食べ物など多岐に及び今の自分にも悪影響を及ぼしているものですね。
正直、過去のことであるため、それを克服してこれからどうしていくかは本人次第でどうにでもなると言ってしまえばそれまでなのですが。
それが出来るほど強い人ってそういないと思うんです。


こんな偉そうに言っている自分だってそうです。
たまたま嫌いな食べ物というものがないから好き嫌いがある人の気持ちは理解しきれません。

一人っ子で自分勝手でわがままな性格のため、人間関係は上手くいっていると勝手に思い込んでいるし、
言ってしまえば私は本当にたまたま運がいいため、周りの環境や人に恵まれていて何不自由なく生きてこれたと思っているから、人間関係で悩みすぎていっそのこと死んでしまおうかと考えてしまっている人の気持ちは完全に理解することは出来ません。


それでも、正直なところ心のどこかではずっと引っかかっていることはあるし、克服したというより、克服したように見せかけているだけなんです。
目を背けて、見ないようにしているだけ。
今、そしてこれからに一生懸命目を向けて、自分が傷つくのを避けているだけなんです。


だから、私も決して強いわけではないし、悩むことだって、辛いなと思うことだってあります。
過去は楽しいものばかりでなく、嫌なものだってあります。


私も小さいころは誰かをいじめていた時代もありました。
勝手な思い込みかもしれませんが、いじめられていたときも少しだけありました。
気付かずに誰かを傷つけていた時もあっただろうし、もしかしたら今も誰かを傷つけているかもしれません。


いじめをした方も覚えていることがある場合もあると思いますが、そんなの稀で、大抵忘れてる。そんな過去、記憶から消している。
でも、されたほうは忘れない。それがトラウマになることだって多い。
忘れていたとしても、何かの拍子でフッと思い出す。


いじめって、なくならないですね。昔から今までずーっとありますよね。
いじめと聞くと、誰しもがいけないことって"知って"はいる。
いじめ反対。いじめはなくすべきだ。そんなことみんな知ってる。


でも、ほとんどの人は"わかって"いない。
これがいじめだって。
明確な境界線はないし、人によって関係も、当然感じ方も、違うから。


いじめている本人も。周りで傍観している人も。そんなニュースを見て一時的に腹を立てているような人も。
みんな、いじめられている本人ではない。本人の気持ちはわからない。
それは当然仕方ないことだけど、みんな本当にはわかろうとしていない。


わからないなりに、わかろうと努めることが大切で。
それはいじめに対する問題意識もそうですが、それに限らず、人間関係全般で。
そこを怠った時、なにか良くないことが起こる。
長い間紡いできた信頼関係がいとも簡単に、まるで糸がプツッと切れるかのようになってしまったり、
最悪の場合は尊い命を失ったり。


だから、人の気持ちになって考えることって、言われてきた人もいると思うけど
そう簡単なことじゃないけど、本当に大事なこと。


あとは、辛いなら塞ぎ込まないで周りを見渡すこと。
世界は、そんなに狭くない。
もっと世界は広いし、もっと人っていう生き物はたくさんいる。
あえてそんな世界に閉じこもらなくていいし、
もっと自由に、縛られないで生きていいんだよって言ってくれる人が周りに必要なんじゃないかって思います。


生きてさえいれば、何度だってやり直しはきくし
自分の存在を肯定してくれる人は必ずいると、私自身はそう信じています。
そう信じて、毎日を大切に生きています。


少しでも誰かを勇気づけたり、自分を見つめなおすキッカケになれたらと思って頻度は少ないけれど、毎回書かせてもらっています。
今回もまたどう思うかは人それぞれの価値観というだけのこと。
それではまた次回。


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