人それぞれが見ている世界って!?~In Cebu~
ついにコンドミニアムのシャワーからお湯が出るようになりました。
どうもこんばんは。金子です。
今回は、人って理不尽だよねって話です。
いや、そんな否定的な内容じゃないけどね。実際。
いきなりなんですが、私のことをなんとなくでも知っているみなさんに質問です。
私、兄弟姉妹いそうだと思いますか?
みんなからよく妹いそうだねって言われるんですよね。前々から。
まあ確かに子供とか年下とかの面倒見いい方だとは思うのですが。
みんなが思っているよりワガママで短気で自己中心的な典型的な一人っ子なのは確かで。
こんなに自己肯定することを謳っている本人が自己嫌悪に陥ることは多々あるのも事実です。
一番ダメだなあと思うことは、割と気分や感情が表に出やすい部分があるところですね。
疲れているときは対応が明らかに雑になるとか。
でもですね、少なからず人って個人的な感情で態度が変わってしまうことってあると思うんですよね。
人に優しくできたり、厳しく当たってしまったり。
どんなことも許せたり、どんなことでもイライラしてしまったり。
なんでなんだろうなーって考えた時に、
結局すべてはその時その時の自分の状態次第なんじゃないかって。
要は、余裕を持っていれば器を大きく、どっしり構えていられるということなのです。
一人間なのだから、そりゃいろんな時がある。
疲れていたり、眠かったり、頭が痛かったり、ストレスが溜まっているときだったり。
生理現象的な部分もありますわな、そりゃ。
そう考えてみると不思議なもので。
起きたことやされたことは同じでも、受け手次第でどんな風にも捉えかたを…
いや、言ってしまえば世界は変えられる。
自分の見ている世界を、だけれども。
自分の見ている世界といえば、
最近実は少しばかり心理学的なところも学んでいて。
皆さん一度は耳にしたこともあるかもしれません。
「パラダイム」ってやつ。
めちゃくちゃ簡単にまとめちゃうと世界はありのまま見えてるんじゃなくて、受け手の人の感性を通して見えている。
いわば図らずも色眼鏡を通してしまっているんだよというもの。
そこを出来る限りニュートラルに見ることが出来たり、その見方を逆転させることが出来たら全く違う世界が見えて。
そしたら自分の行動が変わって。生活も変わって。人生も変わってしまうという。
いろいろな気持ちに左右されてしまうのは仕方のないこと。
でもそれをまた違う角度から見ようと努力をしてみる。
それだけでなんだか人の接し方や理解の仕方も変わるかもね。
私も勝手な私情をいちいち挟むのではなく
一歩違う視点から物事をとらえるくせだったり、
常に余裕を持てるような日々の過ごし方だったりができるように意識を向けてみようとおもいます。
今回もまた、どう捉えるかは人それぞれの価値観ということですね。
それではまた次回。
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トラウマと生き方の話~In Cebu~
お久しぶりです。
近頃スプライトの2Lが欠かせません。
こんばんは。金子です。
今回ちょっとだけ命に関わる重い話をしようかなと思います。
みなさんは「トラウマ」というものはありますか?
大小関係なく「トラウマ」を持っている人、少なくないと思います。
正式名称は「心的外傷」
以下引用:
[心的外傷(しんてきがいしょう、 psychological trauma、トラウマ)とは、外的内的要因による衝撃的な肉体的、精神的な衝撃を受けた事で、長い間それにとらわれてしまう状態で、また否定的な影響を持っていることを指す。
心的外傷が突如として記憶によみがえり、フラッシュバックするなど特定の症状を呈し持続的に著しい苦痛を伴えば、急性ストレス障害であり、一部は1か月以上の持続によって、心的外傷後ストレス障害(PTSD)ともなりえる。]
引用ページ(wikipedia):https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E7%9A%84%E5%A4%96%E5%82%B7
まあ、簡単に例を挙げると、
小さいころ好きすぎてサラミを食べ過ぎて気持ち悪くなったことがある
昔食べたトマトがたまたま腐っててお腹を壊した
前に何気なく言われた一言が忘れられない
いじられていた容姿の一部分がコンプレックスになった
などなど、食べ物など多岐に及び今の自分にも悪影響を及ぼしているものですね。
正直、過去のことであるため、それを克服してこれからどうしていくかは本人次第でどうにでもなると言ってしまえばそれまでなのですが。
それが出来るほど強い人ってそういないと思うんです。
こんな偉そうに言っている自分だってそうです。
たまたま嫌いな食べ物というものがないから好き嫌いがある人の気持ちは理解しきれません。
一人っ子で自分勝手でわがままな性格のため、人間関係は上手くいっていると勝手に思い込んでいるし、
言ってしまえば私は本当にたまたま運がいいため、周りの環境や人に恵まれていて何不自由なく生きてこれたと思っているから、人間関係で悩みすぎていっそのこと死んでしまおうかと考えてしまっている人の気持ちは完全に理解することは出来ません。
それでも、正直なところ心のどこかではずっと引っかかっていることはあるし、克服したというより、克服したように見せかけているだけなんです。
目を背けて、見ないようにしているだけ。
今、そしてこれからに一生懸命目を向けて、自分が傷つくのを避けているだけなんです。
だから、私も決して強いわけではないし、悩むことだって、辛いなと思うことだってあります。
過去は楽しいものばかりでなく、嫌なものだってあります。
私も小さいころは誰かをいじめていた時代もありました。
勝手な思い込みかもしれませんが、いじめられていたときも少しだけありました。
気付かずに誰かを傷つけていた時もあっただろうし、もしかしたら今も誰かを傷つけているかもしれません。
いじめをした方も覚えていることがある場合もあると思いますが、そんなの稀で、大抵忘れてる。そんな過去、記憶から消している。
でも、されたほうは忘れない。それがトラウマになることだって多い。
忘れていたとしても、何かの拍子でフッと思い出す。
いじめって、なくならないですね。昔から今までずーっとありますよね。
いじめと聞くと、誰しもがいけないことって"知って"はいる。
いじめ反対。いじめはなくすべきだ。そんなことみんな知ってる。
でも、ほとんどの人は"わかって"いない。
これがいじめだって。
明確な境界線はないし、人によって関係も、当然感じ方も、違うから。
いじめている本人も。周りで傍観している人も。そんなニュースを見て一時的に腹を立てているような人も。
みんな、いじめられている本人ではない。本人の気持ちはわからない。
それは当然仕方ないことだけど、みんな本当にはわかろうとしていない。
わからないなりに、わかろうと努めることが大切で。
それはいじめに対する問題意識もそうですが、それに限らず、人間関係全般で。
そこを怠った時、なにか良くないことが起こる。
長い間紡いできた信頼関係がいとも簡単に、まるで糸がプツッと切れるかのようになってしまったり、
最悪の場合は尊い命を失ったり。
だから、人の気持ちになって考えることって、言われてきた人もいると思うけど
そう簡単なことじゃないけど、本当に大事なこと。
あとは、辛いなら塞ぎ込まないで周りを見渡すこと。
世界は、そんなに狭くない。
もっと世界は広いし、もっと人っていう生き物はたくさんいる。
あえてそんな世界に閉じこもらなくていいし、
もっと自由に、縛られないで生きていいんだよって言ってくれる人が周りに必要なんじゃないかって思います。
生きてさえいれば、何度だってやり直しはきくし
自分の存在を肯定してくれる人は必ずいると、私自身はそう信じています。
そう信じて、毎日を大切に生きています。
少しでも誰かを勇気づけたり、自分を見つめなおすキッカケになれたらと思って頻度は少ないけれど、毎回書かせてもらっています。
今回もまたどう思うかは人それぞれの価値観というだけのこと。
それではまた次回。
https://syuukatuseiarekore.blogspot.com/2017/06/in-cebu_26.htmlトラウマと生き方の話~In Cebu~
自分の手で「生み出す」こと~In Cebu~
昔からお菓子を食べ始めると食べきるまで食べる手が止まりません。
こんばんは。金子です。
いやこれ結構問題視してましてね。
お菓子食べながら勉強とか作業とかする方も多いのではないでしょうか?
私はそれが出来ないんです。いやこれが本当に。
作業中にお菓子食べようとして袋開けたら最後。
お菓子に伸びていく手を止めることが出来ずに結局作業も対して捗らないという始末。
誰か解決法があれば教えてください。
まあ、そんなことを書きたいわけじゃないんですよ今回。
今日、とある記事を読んでいて少し思うことがあったので、ここに書いていこうかなと思いまして。
その対象の記事はSNSにシェアさせていただいたので、元記事が気になる方はそちらを見ていただければなと思います。
その記事というのは
東北大を卒業したはいいものの、年収370万円の負け組になってしまったひとのワケというもの。
まあ、まず負け組って言葉が好きじゃありませんね。
よんでもらうための扇情的なタイトルだとしても、あんまり納得はできませんね。
それと、この記事を読んでどう思ってもらいたいんだろうっていうのがよくわかりませんでした。
別に、日本の現状をただ晒しただけ、情報提供の他ならないといえばこの記事に対してそれ以上言うことはありませんが。
それは置いといて、記事を読んでみると、多分これは多少名の通った、いわゆる大企業なのかな。
東大卒が多くて、その人たちが権力を握っているような書かれ方だし。
この書かれている本人の仕事の効率が多少なりともよくなかったのもあるでしょうが
まず学歴閥というものが存在して、学歴が高い方が偉いという風潮。
それに加えて、学歴をバカにしてその人自身を非難するような言葉。
というか学歴閥って実際にあるんだやっぱ。
このご時世、まだあるんだ。
驚きとかじゃなく、呆れかえりです。
学歴は確かに、受験とかの今までの努力が目に見えて判断することが出来るものので
さすがに無駄だとまでは言わないし、強く否定も出来ませんが。
まーそれにしてもつまらないね。
学歴高ければ偉いとか、いいグループに入れるとか。社会的地位が高くなるとか。
挙句の果てには、やっぱその学歴じゃあねとか言われたりするなら、
なによりもいじめとか差別とか含んでるよね。
大した理由もないのに集団でひとりをばい菌扱いとかし始める小学生とほとんど変わんないんじゃないんでしょうかね。やってることって。
学歴低いから無能。使えないってね。
自己肯定感が、自分の心を豊かにするなによりも大切なものという考えの私ですが、
他人を卑下して自分の存在価値を高めようとするような人にはなりたくない。
そんなもんで得られた心の豊かさや人間関係なんて間違いなく脆すぎる。
記事を書かれている本人も、考え方として自分の弱い部分を補うために
会社とかいう大きな他者にすがりついて、他者をあてにしているような感覚をもっているのではないかなと感じました。
本人と直接話したとかじゃないから決めつけるのはよくないけれど。
やっぱり、様々な考え方があってそれを否定はしないし、本人が本当にそれでいいならいいし、そこにとやかくいう権利はないのだけれど。
やっぱり、自分の時間と引き換えに上からおかねを「もらう」という受け身的な生き方であったり仕事の態度、考え方よりも
自分の働きかけ自体から信頼やお金、やりがいを「生み出す」という能動的な生き方、仕事の態度のほうがなんでも楽しいし、不満もグンと減るのではないかなと。
他人からあれやれこれやれ言われてモチベーションがあがる人って多いですかね?
自分で決めたルールだったり目標があったほうが格段にモチベーションに繋がりませんか?
まだ社会人経験もないような私ですが、これはサラリーマン含め会社員も同じだと思っています。
形式上雇われてはいても、自分で目標を定めたり、新しい方法や活路をクリエイトする権利はあるわけで、仕事にやりがいを「生み出す」ことは決して不可能なことじゃない。
そんなことができる人は当然出世もするだろうし、愚痴や不満も少ないと思うのです。
権力争いとか、付き合いの必要性とか、そう簡単にはいかないのが会社ってもんなのかもしれませんが。
結局のところ、やりがいのある仕事、たくさんお給料がもらえる場所、を探すのではなく
仕事からやりがいを「生み出す」自分でお金を「生み出す」という感覚というか考え方が大事かなあと思います。
環境や他者に責任を押し付けるんじゃなくてね。
というわけで。
いやー。
一気に書いたけど、やっぱり書き始めるとどんどん言いたいことが出てきてまとまらなくなるわ。
話も一緒。考えてみるとお菓子も一緒。
これだからなんか始めるときにちょっとめんどくさく思うことがあるんですよね。
止めらんないから。
手を出すと止まらなくなってしまうこの性分。
直らなくてもいいけど、少しぐらいコントロールとかできないといけませんね。
直さないとただの話長いうざいやつにしか思われそうにないから。
はい。
まあ今回もまたどう思うかは人それぞれの価値観ということで。
それではまた次回。
https://syuukatuseiarekore.blogspot.com/2017/06/in-cebu_12.html自分の手で「生み出す」こと~In Cebu~
心を満たす方法!?~In Cebu~
ここ3日間、summer outingということでリゾート地へ社員旅行をしてきました。
こんにちは。金子です。
この3日間は上の写真のようなきれいな海へ行ったり
とても高い崖から飛び降りたり
人が住めるのかと疑うようなジャングルのような中にひっそりと佇む家に泊まったり
とりたてのココナッツを切ってそのまま飲んだり
本当に貴重な体験をたくさんさせて頂きました。
これでもかっていうぐらいセブを満喫させてもらいましたね。
海外からくるリッチな人たちが泊まるような素敵な場所から
現代では考えられないような暮らしを実際にしている人たちまで
多くのものを実際に見ることが出来て、考えさせられることも多かったです。
でも何より強く感じたことは、
大事なことはどんなにすごい所へ行くことや、どんなに綺麗なものを見ることじゃなく
誰と行くのか、誰と見るのか、誰とするのかなんだなということでした。
もちろん楽しくなかったわけじゃありません。
感動しなかったわけじゃありません。
ただ、これを自分の好きな人たちと見れたら、どんなに感動していただろう。
どんなに心に残るものになっていただろうと考えると
なにか物足りなさといいますか、すこし心にぽっかりと穴が開いたような気持ちがしてならないのです。
連れてってくれたのにどんだけ失礼な奴だよ。
まあ、そういわれるのも仕方がないことですが
本当にそれを実感した日々でした。
というより、わりと毎日思ってることかな。
友となら、例え向かう場所がゴミ処理場だったとしても一生忘れない思い出が出来る。
大げさかもしれませんが、本気でそう信じています。
様々な方がいるとは思いますが、
本当に今いる心を許せる友達は、金を捨ててでも大切にすべきだと私は思います。
なにより心を満たしてくれるのは信頼し合える人間関係じゃないかな。
そう考えると人間関係って本当に人生を左右してしまいます。
疲れ切るのも人間関係
疲れを癒すのも人間関係
悩まされるのも人間関係
悩みを吹き飛ばすのも人間関係
人間関係で悲しみ
人間関係で喜ぶ
人間関係が命を奪い
人間関係が命を救う
幸も不幸も人間関係
まあ、今回もまたどう思うかは人それぞれの価値観ということで。
それではまた次回。
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